
元フジテレビアナウンサーの渡邊渚(わたなべ なぎさ)さん。2023年に体調不良を公表し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と闘いながら、自身の経験を発信し続けています。その過程で、一部ネット上では中居正広さんとの関連が噂される性加害疑惑について「なぜ警察に行かないのか?」という疑問や、「被害を訴えながらグラビア活動をするのはおかしい」「売名行為ではないか」「そもそも嘘つきなのでは?」といった厳しい批判の声も上がっています。
この記事では、なぜ渡邊渚さんが警察へ届け出なかったのか、その背景にある複雑な事情を深掘りします。さらに、彼女に向けられる様々な批判に対し、本人の発言、報道、専門家の見解といった多角的な情報から、その真相を徹底的に検証していきます。
この記事を読むことで、以下の点が明らかになります。
- 渡邊渚さんが警察への届出を断念した複数の具体的な理由
- 「PTSDなのにグラビアはおかしい」という批判に対する専門的な見解
- 「売名行為」「嘘つき」といった非難の根拠とそれに対するファクトチェック
- 性暴力被害者が直面する社会的な課題と二次加害の実態
表面的な情報や憶測に惑わされず、この問題の本質を理解するための一助となれば幸いです。
1. 渡辺渚が中居正広の性加害疑惑で警察に行かなかった理由はなぜ?
渡邊渚さんが警察へ被害届を提出しなかった背景には、単一の理由ではなく、法的な取り決め、心身への深刻な影響、そして日本の司法が抱える構造的な問題という、複数の要因が複雑に絡み合っています。ここでは、その具体的な理由を一つずつ詳しく解説します。
1-1. 「刑事罰を求めない」宥恕条項付き示談書の存在
最も大きな理由の一つとして、当事者間で「示談」が成立していることが挙げられます。週刊文春の報道によると、2023年6月のトラブル後、両者の間では示談書が交わされました。
この示談書には「宥恕(ゆうじょ)条項」が含まれていたと報じられています。宥恕条項とは、「相手を許し、刑事罰を求めない」という意思表示のことです。これがあることで、被害者が警察に告訴や被害届を提出しない、あるいは取り下げるのが一般的となります。
なぜ、刑事罰を求めずに示談という選択をしたのでしょうか。これは、被害者が精神的・肉体的に極めて脆弱な状況で、長期間にわたる刑事手続きの負担を回避し、まずは自身の心身の回復を最優先するという、極めて現実的かつ合理的な判断であった可能性が考えられます。
加害者側からすれば、刑事事件化を避けることができる一方、被害者側にとっては、これ以上の争いを避け、精神的平穏を取り戻すための苦渋の選択であったと言えるでしょう。
1-2. PTSD悪化の懸念と再トラウマ化の恐怖
渡邊渚さん本人が、警察への相談をためらった最大の理由として挙げているのが、PTSDの悪化、すなわち「再トラウマ化」への恐怖です。
ピンズバNEWSやgooニュースのインタビューで、彼女は次のように語っています。
- 被害届の提出も考えたが、事件化による再トラウマ化を恐れて踏みとどまった。
- 告訴という選択肢もあったが、当時はPTSDが悪化し、日常生活も困難な状況だった。
性暴力の被害者が警察に被害を訴える際、以下のようなプロセスを経る必要があります。
- 事情聴取: 被害時の状況を、複数の警察官に対して、詳細に、そして何度も繰り返し説明しなければなりません。思い出したくもない記憶を言葉にすることは、それだけで心に大きな負担をかけます。
- 現場検証: 被害に遭った場所へ赴き、そこで何があったのかを再現しながら説明を求められます。これは、トラウマ体験をフラッシュバックさせ、症状を悪化させる極めて強いトリガーとなり得ます。
渡邊さんは自身の手記で「警察に行くことがどれだけ勇気のいることか、想像してほしい」「事情聴取で思い出したくもない記憶を何度も何人もの警察官に繰り返し聞かれる。それだけでも気がおかしくなりそうなくらい負担」とその過酷さを訴えています。希死念慮が強まる予感しかしなかった、という言葉からは、当時の彼女がいかに追い詰められていたかがうかがえます。
1-3. 日本の性暴力被害における構造的問題点
渡邊渚さん個人の判断だけでなく、日本の社会や司法が抱える構造的な問題も、被害者が声を上げることを困難にしています。
内閣府の調査(2020年)によると、無理やり性交等の被害に遭った人のうち、警察に相談・届出をしたのは、女性でわずか6.4%、男性に至っては0%という衝撃的なデータがあります。つまり、性被害者の9割以上が警察に届け出ていないのが日本の現実なのです。
なぜ、これほどまでに多くの被害者が沈黙せざるを得ないのでしょうか。その背景には、以下のような要因が指摘されています。
届出を阻む要因 | 具体的な内容 |
---|---|
立証の困難さ | 日本の刑法では、暴行や脅迫があったことの立証が極めて困難で、「同意がなかった」ことの証明が被害者側に重くのしかかります。その結果、被害届が受理されにくいという現実があります。 |
警察対応への不信感 | 捜査過程での配慮のない言動や、「あなたにも隙があったのでは?」といったセカンドレイプ的な対応をされることへの恐怖や不信感が根強く存在します。 |
加害者からの報復 | 逆恨みによる報復や、さらなる嫌がらせを恐れて、声を上げられないケースも少なくありません。 |
社会的偏見と二次加害 | 「被害者らしくない」といった批判や、「ハニートラップだ」といった根拠のない噂など、社会からの二次加害に晒されることを恐れる気持ちも、被害者を沈黙させます。 |
渡邊さんが手記で「司法ですら、被害者の味方ではないように思えた。警察に相談しに行く人が少ないのは当然だろう」と綴った言葉は、この絶望的な状況を象徴していると言えるでしょう。
2. 渡辺渚がグラビアを再開するのはおかしいという批判の真相
「性被害を訴えているのに、なぜグラビア活動を再開するのか?」「PTSDだというのは嘘ではないか?」こうした批判は、渡邊渚さんに向けられる声の中でも特に多く見られます。しかし、この批判は、PTSDと回復過程についての深い誤解に基づいている可能性があります。ここでは、本人の説明と専門的な知見から、この問題について検証します。
2-1. 本人による説明:「見られること」自体はトラウマ誘因ではない
まず、渡邊渚さん自身はInstagramで、批判に対して明確に説明しています。彼女はフジテレビ入社前からグラビア活動の経験があり、人から「見られること」や「写真を撮られること」自体が、彼女のトラウマを直接刺激する要因(トリガー)ではないと語っています。
PTSDの症状やトリガーは、人それぞれ全く異なります。ある人にとっては特定の場所がトリガーになるかもしれず、別の人にとっては特定の匂いや音が引き金になることもあります。渡邊さんの場合、トラウマ体験とグラビア撮影という行為が、彼女の中では結びついていないのです。
また、撮影現場は多くのスタッフに囲まれ、本人の意思が尊重される「コントロール可能」な環境です。これは、突発的で支配的な状況下で起こったトラウマ体験とは全く性質が異なります。そのため、症状に波がある中でも、コントロールされた安全な環境で仕事を再開することは、決して不自然なことではないのです。
2-2. 専門家が解説する「身体の再獲得」という心理的アプローチ
さらに、性暴力サバイバーが、あえて自身の身体性を表現する活動を選ぶことには、心理学的な観点から見て、回復における重要な意味があると指摘されています。
その一つが「身体の再獲得(re-embodiment)」や「権限回復(reclaiming agency)」という考え方です。性暴力は、被害者から身体のコントロールと自己決定権を奪う行為です。被害者は、自分の身体が自分のものとは思えなくなったり、身体的な感覚が麻痺したり(解離)することがあります。
この奪われた感覚を取り戻すために、被害者が自らの意思で、安全な環境下で「自分の身体を主体的に見せる・撮らせる」という経験をすることがあります。これは、トラウマによって客体化(モノ扱い)された自分の身体の主導権を、再び自分の手に取り戻すための、極めて積極的で治療的なアプローチとなり得るのです。
海外の研究では、こうした表現活動がトラウマからの回復過程において、自己肯定感の向上や、回避・解離症状の軽減に寄与することが報告されています。渡邊さんのグラビア挑戦は、単なる仕事復帰ではなく、「自己決定による回復行動」の一環であると捉えることができるのです。
3. 渡辺渚の行動は売名行為なのか?
「被害を訴えることで注目を集め、本や写真集を売ろうとしているのではないか」という「売名行為」批判も根強く存在します。この点について、客観的な事実から検証してみましょう。
3-1. メディア露出は本人の営業か、メディア側の需要か
まず、渡邊さんの著書『透明を満たす』の出版や、週刊誌での手記掲載、各種メディアへの露出は、彼女自身が積極的に営業活動を行ったという証拠は見当たりません。
むしろ、元人気アナウンサーが壮絶な体験を告白するというテーマは、メディア側にとって社会的な関心が高く、強い需要があります。複数の出版社やメディアから執筆や取材の依頼があったと考えるのが自然です。彼女の告白は、社会が性暴力やPTSDの問題に目を向けるきっかけとなっており、公共性のあるテーマとして扱われています。
3-2. 「被害の商業利用」批判に対する反論
著書の出版を「被害の商業利用」と批判する声もあります。しかし、渡邊さん本人は、フォトエッセイは自身の治療の記録であると同時に、同じように苦しむ人々への支援や問題提起が目的であると説明しています。
実際に、彼女は著書のロイヤリティの一部を性暴力被害者の支援団体へ寄付する意向を公表しています。この事実は、「自分の利益のためだけに被害を利用している」という批判とは相容れないものです。
3-3. 事件のでっち上げ疑惑をファクトチェック
最も悪質な批判は、「注目を集めるために事件自体をでっち上げた」というものです。しかし、この主張を裏付ける客観的な証拠は存在しません。逆に、彼女の主張を補強する事実は複数確認されています。
- 示談書の存在: 週刊文春などの複数のメディアが、宥恕条項付きの示談書が実在することを報じています。でっち上げの話で、示談書が交わされることは考えにくいです。
- PTSDの診断書: 彼女はPTSDであるとの診断書を公表しており、これは客観的な証拠と言えます。
- 休業の事実: 2023年7月から長期間にわたり、アナウンサーとしてのキャリアを中断して休業していた事実は、彼女が深刻な心身の不調を抱えていたことを示しています。
これらの事実から、「売名のための虚偽」という批判は、根拠に乏しい憶測の域を出ないと言わざるを得ません。
4. 渡辺渚は嘘つきだという非難を徹底検証
「言っていることがおかしい」「嘘つきだ」というレッテル貼りは、被害者をさらに追い詰める典型的な二次加害です。この非難がなぜ生まれるのか、そしてその妥当性について検証します。
4-1. 本人の主張と客観的証拠の照らし合わせ
前述の通り、渡邊さんの主張は、休業の経緯、PTSDの診断書、そして報道されている示談書の存在といった客観的な事実と時系列的に一致しています。第三者機関が彼女の主張を「虚偽」と断定した報道や判決は一切ありません。
一方で、彼女は手記で「加害者は呼吸をするように平気で嘘をつき、事実を歪めて自分の都合のいいような解釈を繰り広げる」と、被害者がいかに事実を捻じ曲げられる危険に晒されているかを訴えています。被害者が声を上げた際に、加害者側やその擁護者から「合意があった」「彼女が誘ってきた」といった虚偽の反論をされることは、残念ながら頻繁に起こる現実です。
4-2. 批判の根拠はどこから?SNSの憶測が中心か
「嘘つき」という批判の多くは、具体的な証拠に基づいたものではなく、SNSや匿名掲示板上での個人的な推測や、「被害者ならこうあるべき」という偏見に基づいたものが大半です。
- 「笑っているから嘘」
- 「グラビアをやるなんて本当の被害者じゃない」
- 「すぐに警察に行かないのはおかしい」
これらの批判は、すべて「被害者らしさ」というステレオタイプを被害者に押し付けるものです。渡邊さんは手記で「被害者は一生悲観して生きて、幸せをあきらめなければいけないのか」と問いかけています。被害者が日常を取り戻そうと努力すること、笑うこと、夢を追いかけることを非難する権利は誰にもありません。
4-3. 誹謗中傷の深刻化と法的措置への言及
こうした根拠のない批判や誹謗中傷はエスカレートし、2025年5月には、渡邊さんのスタッフが公式に警告文を発表する事態に至りました。その警告文によると、誹謗中傷は本人に留まらず、まったく無関係の友人や家族にまで及んでいるとのことです。
この看過できない事態を受け、すでに警察への相談を行い、必要に応じて法的措置を講じるという厳正な対処方針が示されました。これは、ネット上の言説が単なる「批判」の域を超え、脅迫や名誉毀損といった犯罪行為に該当するレベルに達していることを示唆しています。
5. なぜ性被害者がグラビアに挑戦するのか?その心理的背景に迫る
渡邊渚さんのケースをきっかけに、「性被害者がグラビアなどの性的表現を行う心理」について、改めて深く理解する必要があります。これは彼女一人の特殊な例ではなく、回復の過程で見られる普遍的なテーマの一つです。
5-1. エンパワメントとしての表現活動
前述の「身体の再獲得」に加え、「エンパワメント」という観点も重要です。エンパワメントとは、本来持っている力を自分自身の手に取り戻すプロセスを指します。
性暴力によって無力化され、尊厳を傷つけられた被害者が、自らの意思で、自らの身体を使って何かを表現し、それを社会に発信する行為は、失われた力や自信を取り戻す強力な手段となり得ます。「私は被害者として無力なだけではない、表現する力を持った主体的な人間なのだ」と再確認する作業なのです。
「Photovoice(フォトヴォイス)」や「Trauma-informed expressive arts(トラウマを考慮した表現芸術)」など、写真やアートを通じて被害体験を表現し、自己を癒す治療的アプローチは国際的にも確立されています。
5-2. 日本社会特有の課題:「被害者らしさ」という二次加害
しかし、こうしたサバイバーのエンパワメントとしての表現活動は、特に日本社会において困難に直面しがちです。社会学者が指摘するように、日本には「被害者は清純で慎ましくあるべきだ(マドンナ)」という固定観念が根強く残っています。
そのため、サバイバーが少しでも性的な表現を行ったり、恋愛をしたりすると、「本当の被害者ではない(マドンナではない)」と見なされ、被害の信憑性すら疑われてしまうのです。この「マドンナ/マドンナではない」という二元論的な見方が、被害者を苦しめる強固な「二次加害」の構造を生み出しています。
渡邊渚さんへの「グラビアはおかしい」という批判は、まさにこの日本社会に根付く歪んだ価値観の現れと言えるでしょう。被害者がどのように回復の道を選ぶかは、その人自身の自由であり、社会が「被害者らしさ」の型にはめて裁くべきではありません。
6. まとめ:憶測や偏見を乗り越え、問題の本質を見るために
今回の一連の問題について、主要な論点を以下にまとめます。
- 警察に行かなかった理由: 渡邊渚さんが警察に届け出なかったのは、①「刑事罰を求めない」という示談が成立していたこと、②事情聴取などによるPTSD悪化を避けたかったこと、③日本の司法制度における性被害立証の困難さ、という複数の合理的な理由が重なった結果です。
- グラビア活動への批判: 「被害者なのにグラビアはおかしい」という批判は、PTSDからの回復過程への無理解に基づいています。本人の意思による身体表現は「奪われた身体の主導権を取り戻す」という治療的な意味合いを持つ、積極的な回復行動の一つです。
- 売名・嘘つき批判の根拠: 「売名行為」や「嘘つき」といった批判を裏付ける客観的な証拠はなく、むしろ示談書や診断書といった事実は彼女の主張を補強しています。批判の多くは、SNS上の憶測や「被害者らしさ」という偏見によるものです。
- 二次加害の問題: この問題は、性暴力被害者が声を上げた後、いかに社会からの無理解や偏見(二次加害)に苦しめられるかという、根深い社会問題を浮き彫りにしています。誹謗中傷は彼女の友人や家族にも及び、法的措置が検討される深刻な事態となっています。
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