
2025年、夏の参院選を前に政界に激震が走りました。国民民主党が元衆院議員・山尾志桜里氏の参院選比例代表への擁立を一度は決定しながら、わずか1ヶ月足らずで公認内定を取り消すという異例の事態が発生したのです。この一連の騒動の中心にいたのが、擁立を主導したとされる玉木雄一郎代表でした。
なぜ、一度は公認された山尾志桜里氏の擁立は白紙に戻されたのでしょうか。そして、この過程で玉木雄一郎代表は何をし、どのような責任が問われているのでしょうか。さらに、山尾氏は党の決定にどう反論したのか、その詳細も気になるところです。
この記事では、以下の点について、報道内容を基に深く掘り下げ、騒動の全貌を徹底的に解説します。
- 山尾志桜里氏の公認擁立から取り消しに至るまでの詳細な時系列
- 擁立を主導した玉木雄一郎代表の行動と責任をめぐる党内外の反応
- 山尾志桜里氏が発表した党執行部への痛烈な反論コメントの全文
- 騒動の渦中にいる玉木雄一郎代表の学歴、経歴、家族(妻・子供)の人物像
- 玉木代表自身の不倫相手と報じられた小泉みゆき氏とは何者か、その現在までの経歴
この複雑に絡み合った政治劇の真相に迫ることで、現代の政党ガバナンスや政治家の資質、そしてネット世論が選挙に与える影響など、多くの課題が見えてきます。一体何があったのか、その全てを明らかにしていきましょう。
1. 山尾志桜里の公認取り消しで玉木雄一郎は何をしたのか?

国民民主党の山尾志桜里氏の公認取り消し騒動は、玉木雄一郎代表の主導で始まり、そして玉木代表の判断で幕引きが図られました。この一連の流れの中で、玉木代表が具体的に何をしたのか、時系列に沿ってその行動と党運営の迷走を詳しく見ていきます。
1-1. 混乱のタイムライン:山尾志桜里氏の擁立から公認取り消しまでの全記録
わずか1ヶ月の間に、事態はめまぐるしく変化しました。一体何が起きていたのか、擁立発表から山尾氏の離党届提出までの流れを時系列で整理します。
日付 | 出来事 |
---|---|
2025年5月14日 | 国民民主党が両院議員総会で、山尾志桜里氏ら4名の参院選比例代表での擁立を決定・発表。玉木代表は山尾氏と共に街頭演説にも参加。 |
5月15日〜17日 | 山尾氏がSNSで「女系天皇」の議論を促す投稿。党方針と異なるため玉木代表が注意する。 |
6月4日 | 過去の不倫疑惑などへの説明責任を求める声が高まる中、山尾氏が会見の意向を表明。玉木代表も会見を促す。 |
6月10日 | 山尾氏が約2時間半に及ぶ記者会見を実施。不倫疑惑について謝罪するも詳細な説明は避け、出馬は玉木代表からの要請だったと明かす。 |
6月11日 | 国民民主党が両院議員総会で山尾氏の公認内定を取り消しを発表。玉木代表は「擁立した私にも責任がある」と謝罪。 |
6月12日 | 山尾氏が党執行部を批判するコメントを発表し、離党届を提出。玉木代表は改めて謝罪し、離党届を受理する意向を示す。 |
1-2. 玉木雄一郎代表が主導した擁立劇とその背景にあるもの
山尾志桜里氏の国政復帰は、玉木雄一郎代表からの強い要請がきっかけでした。山尾氏自身が2025年6月10日の会見で「当選同期でもある玉木代表から声をかけていただいた。『憲法と、自分の国を自分で守る政策をもう一度、一緒にやろう』と言っていただいた」と明かしています。
玉木代表は、山尾氏の論客としての能力や政策立案能力を高く評価しており、党の「即戦力」として期待を寄せていました。特に、両者が重視する憲法改正議論を共に推進したいという思いがあったとみられます。
しかし、擁立には当初から大きな懸念がつきまとっていました。それは、2017年に報じられた山尾氏の不倫疑惑です。この問題が再燃することは必至であり、党内からも慎重論が出ていました。それでも玉木代表が擁立に踏み切ったのは、彼女の能力がリスクを上回る価値を持つと判断したからに他なりません。この判断が、後に大きな混乱を招く引き金となりました。
1-3. 迷走する党運営:なぜ会見は遅れ対応は二転三転したのか
山尾氏の擁立発表後、党の対応は迷走を極めました。山尾氏が6月12日に発表した反論コメントによると、公認決定の連絡は4月23日にあり、同日に代表・幹事長同席での記者会見も予定されていました。しかし、党側の判断で会見は見送られ、公認発表も5月14日まで先送りされたのです。
その理由として、党側は「SNS等での批判の沈静化」などを挙げていたと山尾氏は主張しています。この間、山尾氏は早期の会見開催を望んでいましたが、党の判断を待つ形となり、結果的に批判が広がる中で説明の機会を逸してしまいました。
玉木代表は6月3日の時点では「必要であれば会見をすべきだ」と山尾氏に促す発言をしていましたが、一連の経緯を見ると、党執行部が一貫した方針を持てず、世論の反応を見ながら対応を後手に回らせていた様子がうかがえます。このガバナンスの欠如が、事態をさらに悪化させたと言えるでしょう。
2. 玉木雄一郎の責任とは?党内外から噴出した厳しい批判の嵐
山尾志桜里氏の公認取り消しという結末を受け、擁立を主導した玉木雄一郎代表の責任を問う声が党内外から一斉に上がりました。自ら責任を認める発言をしたものの、その判断の甘さやリーダーシップに対して厳しい視線が注がれています。
2-1. 「擁立をした私にも責任がある」玉木代表自身の発言と謝罪の詳細
2025年6月11日、公認見送りを発表した記者会見で、玉木代表は「有権者、全国の支援者から十分な理解と信頼が得られないと判断した」と理由を説明。そして、自らの責任について明確に言及しました。
「擁立をした代表の私にも責任がある。厳しく受け止めたい。」
「(判断が)遅かった、あるいは別の対応があったのではないかという批判は真摯に受け止めたい。」
このように述べ、擁立を主導した張本人として責任を認め、対応が後手に回ったことへの批判を受け入れる姿勢を示しました。しかし、責任の具体的な取り方については明言を避け、「厳しく受け止めたい」と述べるにとどまりました。この姿勢が、さらなる批判を招く一因ともなっています。
2-2. なぜ地方組織は反発したのか?全国の都道府県連からの突き上げ
公認取り消しの直接的な引き金となったのは、地方組織からの強烈な反発でした。榛葉賀津也幹事長によると、6月9日に開催された全国幹事長会議で、全ての都道府県連から「(山尾氏の公認を)見送ってほしい」という声が上がったといいます。
特に危機感が強かったのが、目前に東京都議選(6月13日告示)を控えていた東京都連です。党関係者からは以下のような切実な声が漏れていました。
- 「選挙前の時期に困る。支持者が離れかねない。」
- 街頭で有権者から山尾氏の不倫疑惑について厳しい声をかけられることもあった。
国政選挙だけでなく、地方選挙への直接的な悪影響を懸念する声が、党全体として無視できない大きな圧力となったのです。党の支持基盤である地方組織の総意に、玉木代表ら執行部は抗うことができませんでした。
2-3. 「見通しが甘い」「保身のための切り捨て」党内から漏れた玉木代表への批判
擁立決定後、報道各社の世論調査で国民民主党の支持率は下落傾向にありました。この「山尾ショック」は、党内に深刻な動揺をもたらしました。玉木代表の判断に対して、党内からは厳しい批判の声が上がっています。
ある党関係者は、山尾氏の過去の疑惑に批判が集中することは擁立当初から予想できたはずだとし、「玉木氏の見通しが甘かった」と指摘。さらに、会見をさせた翌日に公認を取り消すという手法について、「会見をさせておいて、その翌日にハシゴを外すような仕打ちはどうなのか。むしろ山尾氏が気の毒だ」「自分の保身のために山尾氏を切り捨てたと言われても仕方ない」と、玉木代表の対応を強く非難しています。
自ら擁立しておきながら、批判が高まると一転して切り捨てるかのようなドタバタ劇は、玉木代表の求心力低下に繋がりかねない事態となっています。

3. 山尾志桜里が玉木雄一郎に反論!何を言ったのか、その全文と思惑
公認取り消しという決定に対し、山尾志桜里氏は沈黙しませんでした。2025年6月12日、党執行部の対応を痛烈に批判する長文のコメントを発表し、離党届を提出。事実上の決別を宣言しました。彼女は何を語ったのか、その反論の詳細に迫ります。
3-1. 【全文解説】山尾志桜里氏が発表した衝撃のコメントとその内容
山尾氏が発表したコメントは、公認見送りという決定への驚きと、党執行部のガバナンスに対する強い不信感に満ちたものでした。以下にその全文を掲載します。
昨日6月11日、国民民主党の両院議員総会において、事実上の公認取り消しの決定を受けました。国政への再挑戦を決意しておりましたが、全国比例代表候補として、その場に立つことはかないませんでした。
昨年来、玉木雄一郎代表より、国民民主党からの国政復帰のお誘いを頂戴していました。本年に入り、改めて代表から具体的に夏の参院選での出馬の要請を受け、その後、代表と榛葉賀津也幹事長お二人同席の上で重ねてのご要請を頂戴しました。
悩み抜いた末、この大事なタイミングで党と国家に貢献できるなら微力を尽くしたいと考えるに至り、さまざまな環境を整えた上で、ご要請をお受けする決断をしました。
今回の両院議員総会での公認取り消し決定は大変残念です。
簡潔に公認決定・発表・取り消しの経過を申しますと、本年4月23日当日、党から決定した旨の連絡を頂戴しました。
ただ、その際あわせて、発表は先送りさせてほしい、そして同日予定していた代表・幹事長同席の記者会見も見送りたいとの説明を受けましたので、予定通りが望ましいのではないかと自身の意見は申し上げた上で、党の判断にお任せいたしました。
その後、「SNS等での批判の沈静化」「愛知県内における私の政治活動に対する愛知県連所属国会議員からの強い懸念」「他の候補予定者との一斉発表」などを理由として複数回発表の先送りの連絡を頂戴し、その都度意見は申し上げつつも、党の判断に従いました。
そして5月14日午前、本日発表との連絡を受け、他3名の候補予定者とともに発表いただきました。その日は、赤坂における国民民主党の街頭活動への参加のお呼びかけもいただき、玉木代表とともにマイクを握りました。
その後、ようやく政治活動を進めることが可能になったので、6月7日には後援会・支援者の皆さんと、事務所開きを行い、商店街の一角で事務所の運営を開始しました。
出馬会見に関しては、当初の4月23日の予定が持ち越されて一旦は宙に浮く形になっておりましたので、私としては早期の開催の意思を党にお伝えしつつ、党からの判断を待った結果、6月10日開催の運びとなりました。
代表・幹事長の同席を希望しましたが、辞退会見であれば同席するとのお答えは大変残念でした。ただ私には辞退の意思はありませんでしたし、会見するという自分の言葉を守る責任がありましたので単独で臨んだ次第です。
会見では、お答えが難しい点もありました。ただ、時を経てさまざまな関係者や家族や守るべき人がおり、自身の新たな言葉が誰かを傷つける可能性がある以上口にしないと決めておりましたので、全ての人の納得を得ることはできないだろうということも予測はしていました。
それでも意を尽くして説明し、質問が尽きるまでできる限り真摯に対応し、今の自分自身の正直な言葉を届けた上で有権者のご判断を仰ぎたいと考えて臨んだ会見でした。
こうした経過を通じて、不十分もあったかと思いますが、その局面ごとに悩みながら、政治家として、党所属の組織人として誠実な対応に努めてまいりました。
そして6月10日の約2時間半の記者会見の後、さまざまな方からご連絡もいただき、少なからずご理解と励ましの広がりに感謝をしていたところ、24時間もたたないうちに「公認取り消し」という性急な結論を頂戴したことには正直驚きました。
明らかに執行部主導でご要請を受け、擁立いただいたにもかかわらず、執行部の責任において判断せずに、両院議員総会での決定という形をとる点にもかなり違和感がありました。
「有権者、全国の仲間、支援者からの十分な理解と信頼が得られない」とのことですが、公認取り消しという公党の判断理由として有権者に説得力を持つものなのか疑問もあります。
今回問題とされた事柄は、全て公認時に周知されていたことです。その事柄について何らか懸念があるのであれば、公認前に選対面談を設けご指摘を頂戴することができたなら、よりよい状況を作れたようにも思います。
面談日程が入らないガバナンスに違和感を覚え、公認前の4月15日に選対面談を申し出た際には、面談は不要とのご判断を頂戴した経緯もありました。
このように、党から正式な公認内定を受けても、党の都合で排除されてしまう政党では、志ある方も今後立候補の決断にちゅうちょしてしまうのではないでしょうか。
私自身の後援会をはじめ支援者の方々が、国民民主党からの出馬であるが故に、党の機関紙の10万枚以上のポスティングや党のポスター掲示などに汗をかき、活動を続けてくださっていたことに、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。精いっぱい、私からおわびとお礼を尽くしたいと思っております。また、この間あたたかい励ましをいただいた皆さまにも、感謝の気持ちをお届けしたいと思っております。
今回、私は政治家として「豊かで強い国。そして国民にあたたかい優しい国」という国家像をお示ししました。国政に再挑戦し、左右に偏らない寛容な中道政治を実現して、国家のために力を尽くす、その決意に揺らぎはありません。
この国政への固い意思を引き出してくれた国民民主党には感謝しつつ、その統治能力には深刻な疑問を抱いておりますので、今後は一線を画させていただければと思っております。さきほど、国民民主党には離党届を提出いたしました。
今後は、まず何より今回大変なご迷惑をおかけした後援会・支援者・関係者の方々におわびとお礼を尽くし、よく相談しながら、今後の政治活動について熟慮したいと思っております。
山尾志桜里
このコメントで山尾氏は、執行部主導の要請であったこと、会見日程などが党側の都合で二転三転したこと、そして問題点が公認時に分かっていたにも関わらず、会見後に性急に取り消されたことへの強い不満と違和感を表明しました。特に「統治能力には深刻な疑問」という言葉は、玉木執行部への痛烈な批判と言えます。
3-2. 「辞退会見であれば同席する」玉木執行部との埋めがたい溝とは何か
山尾氏の反論の中でも特に衝撃的だったのが、記者会見の同席をめぐる党執行部とのやり取りです。山尾氏は代表・幹事長の同席を希望しましたが、党側からは「辞退会見であれば同席する」という返答があったと暴露しました。これは、党執行部が会見前にすでに山尾氏の「辞退」を望んでいたことを示唆しています。
これに対し玉木代表は、事実関係を認めた上で、「(公認は)相当厳しい」「円満に辞任を」と山尾氏に求めていたものの、本人に「自ら引く選択肢はない」と拒否されたため、公認取り消しに至ったと説明しています。このやり取りは、両者の間に決定的な溝が生まれていたことを物語っています。
3-3. 離党届提出という決別と今後の政治活動の行方
党執行部への痛烈な批判と共に離党届を提出した山尾志桜里氏。これにより、玉木代表との盟友関係は完全に決裂しました。しかし、彼女はコメントの最後で「国政に再挑戦し、国家のために力を尽くす、その決意に揺らぎはありません」と明言しています。
国民民主党という足場は失いましたが、政治家としての活動意欲は衰えていないようです。今後は無所属での活動を模索するのか、あるいは他の政党と連携する道を探るのか、その動向が注目されます。いずれにせよ、この一連の騒動は彼女の政治家人生において大きな転機となったことは間違いありません。
4. 政局の中心人物・玉木雄一郎とは?学歴・経歴から家族まで徹底解剖
今回の騒動で、そのリーダーシップが大きく問われることになった国民民主党の玉木雄一郎代表。彼は一体どのような人物なのでしょうか。その華麗な学歴・経歴から、彼を支える家族、そしてプライベートな側面に至るまで、その人物像を深く掘り下げていきます。
4-1. 官僚から政治家へ:玉木雄一郎の誰もが驚く華麗な学歴と経歴
玉木雄一郎氏は、日本の政界でも屈指のエリート経歴の持ち主として知られています。その歩みは、地元香川から始まり、霞が関、そして世界の舞台へと続いていきます。
年 | 経歴 |
---|---|
1969年 | 香川県大川郡寒川町(現・さぬき市)に生まれる。 |
– | 香川県立高松高等学校 卒業 |
1993年 | 東京大学法学部 卒業 |
1993年 | 大蔵省(現・財務省)入省 |
1997年 | ハーバード大学ケネディスクール 修了(公共政策学修士号取得) |
– | 外務省中近東第一課、大阪国税局総務課長、内閣府行政改革担当大臣秘書専門官などを歴任。 |
2005年 | 財務省を退官。第44回衆院選に民主党から出馬するも落選。 |
2009年 | 第45回衆院選で初当選。以後、当選を重ねる。 |
2020年 | 国民民主党を結党し、初代代表に就任。 |
東京大学法学部を卒業後、最難関とされる大蔵省(現・財務省)に入省。さらにハーバード大学大学院に留学するという、まさにエリート街道を突き進んできました。官僚時代には行政改革などに携わり、その経験が後の政治活動の礎となっています。2009年の政権交代選挙で初当選して以来、党の要職を歴任し、現在に至ります。
4-2. 妻・玉木恵理はどんな人?ハーバード大卒の才女の素顔と経歴

玉木代表を公私にわたり支えているのが、妻の恵理さんです。彼女もまた、夫に劣らぬ才女として知られています。
- 名前: 玉木 恵理(たまき えり)
- 出身地: 東京都
- 学歴: 東京の大学を卒業後、ハーバード大学ケネディスクールに留学。
- 結婚: 1995年、玉木雄一郎氏とハーバード大学内の教会で結婚。
恵理さんは、夫である玉木氏と同じくハーバード大学ケネディスクールで学んだ経験を持っています。結婚後は専業主婦として家庭に入り、縁もゆかりもなかった香川県さぬき市に移住。夫の政治活動を献身的に支えてきました。選挙期間中には「妻」と書かれたタスキをかけ、支援者への挨拶回りを精力的にこなすなど、その内助の功は地元で高く評価されています。
2024年の玉木氏の不倫報道後、一時はメディアの前から姿を消したことで「消えた妻」などと報じられましたが、2025年5月には地元の活動に顔を出し、健在な姿を見せています。玉木氏自身も夫婦関係の継続を明言しており、離婚には至っていないようです。
4-3. 子供(息子)の学歴もエリート?離婚の噂は本当なのか?
玉木夫妻には1999年生まれの息子さんが一人います。その学歴もまた、エリート一家の名に恥じないもののようです。
2015年3月、玉木氏は自身のSNSで「きのう息子が高校に合格しました。選挙や国会でバタバタしていて、何もしてやれませんでしたが、よくがんばったと思います。私の後輩になります」と投稿。これにより、息子さんが玉木氏と同じく、県内トップクラスの進学校である香川県立高松高等学校に進学したことが分かっています。
大学については、父親と同じ東京大学に進学したのではないかとの噂がありますが、確たる情報はありません。しかし、高松高校の高い進学実績を考えれば、難関大学に進んでいる可能性は高いでしょう。
不倫報道を受けて、一部では離婚の噂も流れました。しかし、玉木代表は2025年3月の記者会見で「夫婦の信頼関係は揺らいでいません」と述べ、危機説を否定。前述の通り、恵理夫人が地元の活動に復帰したことからも、夫婦関係は修復され、継続しているものと見られます。
5. もう一つのスキャンダル:玉木雄一郎の不倫相手・小泉みゆきとは何者か

山尾志桜里氏の公認取り消し騒動の裏で、玉木雄一郎代表自身もまた、大きなスキャンダルに見舞われていました。2024年11月に報じられた、元グラビアアイドル・小泉みゆき氏との不倫問題です。この問題は、玉木氏の政治家としての信頼を大きく揺るがしました。不倫相手とされた小泉みゆき氏とは一体どんな人物なのでしょうか。
5-1. 何があった?玉木雄一郎と小泉みゆきの不倫問題の全容
2024年11月11日、写真週刊誌「FLASH」が、玉木代表と小泉みゆき氏の不倫関係を報じました。記事によると、二人は同年7月に高松市内のホテルで一夜を共にし、10月には都内のワインバーで密会していたとされています。
この報道に対し、玉木代表は即日記者会見を開き、「報道された内容はおおむね事実だ」「妻子ある身で他の女性に惹かれたことは、ひとえに私の心の弱さ」と述べ、涙ながらに不倫の事実を認めて謝罪しました。この迅速な対応は、情報を隠蔽せずオープンにすることでダメージを最小限に抑えようという意図があったとみられます。
この問題を受け、国民民主党は党の倫理委員会で調査を行い、12月4日、「党の名誉ならびに信頼を傷つけた」として、玉木氏に対し「党役職停止3ヶ月」の処分を決定しました。玉木氏はこの処分を受け入れ、2025年3月に代表職に復帰しています。
5-2. 小泉みゆきの現在までの経歴と学歴、そして「憲法審査会の女王様」の顔
不倫相手として名前が挙がった小泉みゆき氏は、一体どのような経歴の持ち主なのでしょうか。
- 名前: 小泉 みゆき(こいずみ みゆき)
- 生年月日: 1985年4月23日
- 出身地: 香川県高松市
- 学歴: 香川誠陵中学校・高等学校卒業後、都内の大学に進学。
- 経歴: 元グラビアアイドル、レースクイーン。2019年から無報酬で「高松市観光大使」を務める。
彼女はタレント活動の一方で、近年は政治、特に憲法問題に強い関心を示していたようです。「週刊文春」の報道によると、小泉氏は衆議院の憲法審査会を頻繁に傍聴。その席で、玉木代表の発言にヤジが飛ぶと「静かにさせて!」「黙れ!」などと鋭い声で制することもあったとされ、「憲法審査会の女王様」と評されていました。このことから、二人が単なる男女関係だけでなく、思想的にも共鳴する部分があった可能性がうかがえます。
5-3. 国民民主党の候補者だった?公私混同という重大な疑惑の真相
この不倫問題は、さらに深刻な「公私混同」疑惑へと発展します。「週刊文春」は、玉木代表が小泉氏を2025年夏の参院選の候補者として擁立しようと動いていたと報じました。もし事実であれば、党の公認候補選定に個人的な感情を持ち込んだことになり、党首としての資質が根本から問われる事態です。
この報道に対し、玉木事務所は「小泉氏は政治への興味関心があったことから、玉木が個人的に国政に限らず何らかの選挙への立候補の可能性について話したことはあります」と、候補者としての話を交わしたこと自体は認めました。しかし、「党が正式に検討するには至っておりません」として、党としての公式な手続きには至っていないと回答しています。
一方で、国民民主党は「党が小泉氏について出馬等を検討した事実はございません」と、関与を完全に否定。党と玉木代表個人の間で、見解に食い違いが見られます。この疑惑の真相は依然として藪の中ですが、不倫問題が党の根幹を揺るがしかねない重大な疑惑にまで発展したことは間違いありません。
6. まとめ:山尾氏公認取り消しと玉木氏不倫問題が浮き彫りにした課題
今回は、国民民主党の山尾志桜里氏の公認取り消し騒動と、それに絡む玉木雄一郎代表の行動、責任、そして自身の不倫問題について、網羅的に解説してきました。
最後に、一連の騒動から見えてきたポイントをまとめます。
- 玉木代表のリーダーシップと党ガバナンスの欠如: 山尾氏の擁立から取り消しに至る過程での対応の遅れや迷走は、玉木代表の判断の甘さと党の統治能力の問題を露呈させました。
- 山尾志桜里氏の痛烈な反論: 山尾氏は、執行部主導で擁立されたにもかかわらず、責任の所在が曖昧なまま「はしごを外された」と強く反発。党運営の不透明さを浮き彫りにしました。
- 政治家の過去と説明責任: 山尾氏の過去の不倫疑惑が、最後まで国民や党員の理解を得られなかったことが、公認取り消しの大きな要因となりました。政治家に求められる説明責任の重さを改めて示しています。
- 玉木代表自身の二重のスキャンダル: 山尾氏の問題を裁く立場にありながら、玉木代表自身も不倫問題と候補者擁立をめぐる公私混同疑惑を抱えていたことは、騒動をより複雑にし、国民民主党への信頼を大きく損なう結果となりました。
- ネット世論の影響力: SNS上での批判の高まりが、党の支持率を低下させ、最終的に公認取り消しという政治判断にまで影響を与えました。現代の選挙戦略においてネット世論が無視できない存在であることを示しています。
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